仏の子

仏の子

みんな仏の子どもたち。生きることのみなもとから

みんな、仏の子どもたち。浄土宗の保育です。

ほとけの子は明るい、あたたかい。
ほとけの子はつよい、くじけない。
ほとけの子は人と人の深い絆にむすばれる。
おさない生命が鼓動するこのひと時に、仏の智慧(ちえ)慈悲(じひ)をはぐくむ。
ヒトが人としてあるための人間の根っこを、深く広くたくましく育てる。
からだに、こころに、生きる力とやさしさを。
歓喜、躍動、挑戦。いのち踊(おど)る体験のくりかえし。
感動、深呼吸。
深く吸い込んだ息で、生きるよろこびを歌うために。
浄土宗(じょうどしゅう)のお念仏は、完全なる人格を尊ぶ声。
阿弥陀(あみだ)さまの慈悲の光につつまれて、だれもがみんなほとけの子となる。
浄土宗保育は、輝くほとけの子を育てる保育です。

生きることのみなもとから~浄土宗保育が願うもの~

すべてのいのちを尊び、大切にしよう。

わたしたちが、やがて子どもたちの無垢<(むく)な魂にやどってほしいと願うのは、その小さな生命が、この世にたったひとつしかない、絶対のいのちであるという自覚です。

自分にとってかけがえのないいのちは、他の人にとってもたったひとつの、尊きもの。わたしもあなたも、すペてのいのちを喜びあい、大切にできる人になってほしい。ほんとうのやさしさ、おもいやり、ただし<自分を律する心、使命に邁進(まいしん)する意欲。人間にとって大切な、そういうひとつひとつの心は、きっといのちの自覚に目覚めるとき、はじめて生まれてくるものにちがいありません。

いまあるいのちの自覚とよろこび。物や情報が、どれほどゆたかになっても、それは現代という時代に、もう一度見つめなおされねばならない心の教え、仏教の真髄(しんずい)といえるものなのです。

明るく正しく仲よく。

仏教は、教えに帰依(きえ)するものが深く敬うこととして、仏・法・僧(ぶっ・ぽう・そう)の三宝(さんぼう)を謳(うた)います。

仏とは、わたしたちが目指すべき理想の姿。たったひとつの大切ないのちだから、からだも心も明るく元気であることが、ほとけさまを敬うこと。

法とは、正しい心の姿。よいこと、悪いことの判断をしっかり身につける。自分の意志を的確に表現する。言葉の活動や正しい生活習慣の定着が、法を敬うこと。

僧は和合(わごう)の心。三宝にうたわれる僧とは、仏法のもとに集う人々の集団を表す言葉です。人はだれもひとりでは生きていけません。そして仲間がいるから、精一杯の力が発揮できる。仲よく、支え励まし合う仲間づくりが、僧を尊ぶこと。

明るく正しく伸よく。それが、浄土宗保育の三つの願いです。

ひとり一人が育つ「和合」の保育

法然上人(ほうねんしょうにん)が開かれた浄土宗のお念仏は、阿弥陀さまを尊び、いま生かされるいのちのよろこびを謳う声に他なりません。

阿弥陀さまを尊ぶ気持ちは、あなたを尊重し、わたし自身をみつめる心をはぐくみます。

手を合わす時間、みほとけさまのお話を聞く時間。折々に組み込まれた宗教情操を育てる活動とともに、ほとけの三宝を敬う日常の園生活の一瞬一瞬が、子どもたちにやどる仏性(ぶっしょう)をゆたかにはぐくむ活動となるでしょう。

みほとけのまなざしのもとで、子も親も、そして、園にたずさわるひとり一人もゆたかに育つ和合の人間集団。それがわたしたち浄土宗保育の姿です。

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